樹木葬 永代供養 ペットと一緒に入れるお墓

お骨を森林の中に埋葬する樹木葬という永代供養のかたちを静岡県の街中で。ペットとも一緒のお墓に入れます。

素敵な人になる秘訣(ひけつ)
2016.10.12
あなたには、お友達がいらっしゃるでしょう?
それは、どんなお友達ですか?
あなたを大切にしてくれる人ですよね?
そう、あなたは、あなたを大切にしてくれる方を、お友達に選びました。
自分を大切にしてくれない人を、お友達にする人はありません。
優しくない人を、妻にも夫にも、親子にも選びたくありませんよね。
私達は、私達を大切にして下さる方に、そばにいて欲しいのです。
だとすれば、あなたが、周りの方を大切にすれば、「友達になって欲しい。」「妻になって欲しい」「夫になって欲しい」と求められるようになるでしょう。
「あなたが居てくれて良かった」と言われ、あなたは、大切にされるでしょう。

その秘訣(ひけつ)が、「ちょっと自分を後まわし」です。

あなたが、「あの人はいい人だ。」と言うとき、それはどういう方でしょう?
それは「ちょっと自分を後まわし」にして、あなたを大切にして下さる方ですね。
奥様が、ちょっと夫を先に考える。
すると、その時は、妻らしい妻、一緒にいたい愛される妻になります。
夫が、ちょっと奥様を先に考える。
すると、夫らしい夫、「この人と一緒になって良かった。」と言われる夫になります。
「子供や孫は、自分の命よりも大切だ。」と言うときには、徹底(てってい)して、自分を後まわしにしています。
ワンちゃんや猫ちゃんを可愛(かわい)がるのも、植物や器物・道具を大切にするのも、みんな「ちょっと自分を後まわし」にして、まごころや思いやりを使った結果ですね。
幼い子供達に、「幸せな暮らしをさせたい」と願うならば、「ちょっと自分を後まわし」にできる、優しさを使える人に育てることですね。
それに反して、常に自分の都合(つごう)を優先(ゆうせん)している人は、自分勝手と言われて、誰からも必要とされません。
自分の我が儘(わがまま)を先にして、子供を後まわしにする親は、素晴らしい親にはなれません。
新幹線の自由席に乗ると、混雑しているのに、自分の隣の席に荷物を置いて、「自分だけ、気持ちよく座りたい。」という人をよく見かけます。
外国人は、「そこはあなたの指定席ですか?」と尋(たず)ねるそうです。
日本の恥ですね。
ちょっと自分を後まわしにして、相手のことを先に考える。
すると、素敵(すてき)な人になれるのです。
驚くべきは、このとき、自分自身の心も、なぜか安らいでいるのです。 「ちょっと自分を後まわし」にして、優しさや思いやり、まごころを使っているとき、あなたのお顔がニコニコし、心が穏(おだ)やかになります。
私達は、自分が優しくなっている時が、幸せなときなのです。 
とは言え、いつもいつも「自分を後まわし」、とは参りませんから、『ちょっと』がいいと思います。
時には、「これはどうしても譲(ゆず)れない。優先(ゆうせん)して押し通したい。」と言う事柄(ことがら)もあるでしょう。
たとえ素敵な人になれなくとも、どうしても優先(ゆうせん)すべきことが、あるものです。
そこは御自分の匙加減(さじかげん)。
できるだけ、心と時間にゆとりを持って、『ちょっと自分を後まわし』にできるようになりたいものですね。

日々の生き甲斐(がい)の素(もと)、「あなたがいてくれて良かった。」と言われるようになる秘訣(ひけつ)です。
2016.10.12 13:14 | 固定ページ | 未分類 | ▲TOP
昔の母達の願い
2016.09.14
近頃の親達は、自分の子供のことを、神社仏閣にどのように祈っているでしょうか?
「どうか、この子が幸せになりますように。」
「勉強ができるように。」
「お金が稼げるように。」
「良い伴侶が見つかりますように。」
なるほど、そうなれば何よりです。

では昔の母親達は、自分の子供の幸せを二の次にして、世の中の平安を願っていたのでしょうか?
そうではないようです。
確かに、昔の母親達は、字も読み書きもできず、無教養な親がほとんどだったでしょう。
しかし、自らの命に代えても子供を守るという非常に強い母性愛を持っていました。
また、子供が何を望み、何を悩んでいるか、手に取るように知っているという知恵を持っていました。
子供が、ふる里の田舎町に見切りを付けて、こっそり東京に飛び出そうとしたところ、母親がちゃんと気づいていて、その朝に、なけなしのお米で赤飯を炊いて送り出してくれたという、有名な話もあります。
子育ての神様とも言える知恵者ですね。
その知恵者達は
「人様の迷惑にならぬ人に、人様のお役に立つ人になっておくれ。」
このように願ってきたのです。

昔と今と、願い方がどう違うかと考えてみますと、現代は、結果を願い、昔は、結果に至る原因や手段を願ったのではないでしょうか?

「幸せになりますように」とか、「お金持ちになりますように」と願っても、子供本人が怠け者であったり、周りの人を大切にしない者であれば、お金持ちにも幸せにもなれません。
たとえ、お金があっても幸せにはなれません。
「幸せになりますように」「子供が人々から愛されますように」という結果を得るには、先ず、人から嫌われないようにしなくてはなりません。
それが『人様の迷惑にならぬように』という教えなのです。
人から嫌われたら幸せになれないからに違い有りません。
結果ではなくて、より効果的な、手段の方を願い、教えてきたのですね。

『人様の役に立つ人』というのは、人から必要とされる人です。
必要とされる人は大切にされます。
家庭内であっても何処でも「役に立つ人」は、大切にされますし、社会であれば、よい給料がもらえます。
「どうしたら人の役に立つか?」とは「どうしたら人を喜ばせられるか?」と考えれば、物を作っても、商売をしても、必ず成功するでしょう。
昔の親が『世のため、人のためになる人に』と願い教えたのも、同じことです。

これから、お賽銭を投げて祈るときは、結果を祈るよりも、結果に至る手段、即ち、心の持ち方や、どりょくの仕方を祈ってみるというのはどうでしょう?
自分自身に対してであれば「真面目に努力し続ける勇気を失いませんように。」とか「常に素直で、優しさを失いませんように。」とか。
どうも、その方が効果がありそうですね。
2016.09.14 05:10 | 固定ページ | 未分類 | ▲TOP